メンターの言葉

「正しい」と誰かが言えば、それは同時に「正しくない」人間を生み出すことになる。

正しいと誰かが言えば

どんな時に自分が「正しい」という表現を使うかを考えてみた。「正しい」はとても抽象的で幼
稚的。それゆえに印象的でもある。だから、敢えて印象付けようという意図でない限りは使わ
ないね。
僕が「正しい」を用いる時には、「論理的に矛盾がない」「論理的に整合性が取れている」とい
う場合にのみに限るね。しかも文脈上でそれらの意味になる時に、言葉の堅さをとって印象
付けようとする時に限る。もちろん、「正義」という意味では「正しい」なんて使わない。恥ずか
しくて使えない。まして、キャッチコピーに「正しい」なんて使ったら、その時点でカルトな宗教
になってしまう。
この世の中に絶対的な「正義」なんてない。ドフラミンゴでさえそう言ってるじゃん(笑)
「正しい」と誰かが言えば、それは同時に「正しくない」人間を生み出すことになる。そして、
「正しくない」人間を非難し、糾弾し、排除するんだ。「正しい」のは自分であると人間が思った
時、どれだけ人間が人間として醜悪になるのかは、今回の中国でいやというほど思い知らさ
れたじゃない。だから、「正しい」という言葉は軽々しく使ってはいけないんだ。
「正しい」という言葉を使っている人間は醜い。しっかりした見識を持っている人間はそのこと
を重々承知している。だから、徳がある人間は「正しい」なんて使わない。自分が「正しい」と
思っていることは、黙ってそれを実行すればいいだけだよ。それが本当に「正しい」のなら、
「正しい」結末が訪れるからね。
だから「正しい」なんて言わないほうがいい。それを言ってしまえば、自分がどれだけ未熟で
愚かで醜いかを、雄弁に語ることになってしまうからね。